Where there's a will, there's a way.
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おそらく今夜の舞台が僕の人生における最後の舞台だったのではないかと思います。
大学の音楽生活、英雄に始まり英雄に終わる。
ちょっとぐだぐだな感じの演奏会だったけど、悪い気はしませんでした。
大学での音楽生活、やりたかった星コンや華燭もふれコンでやって、もう思い残すことはないかな。
これからはソロを細々とやっていこうかと思います。
サークルという狭い中でも僕は音楽的なことに関しては結構苦労しました。
音感とかそういうものはからっきしだったし、おそらく向いてないのでしょう。
でも、音楽はいいものです。
人を感動させるような演奏は僕にはできそうにありませんが、人を楽しませるような演奏ならできるかもしれません。
それもまた一つの道としてありでしょう。
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「この食品には・・・が~グラム含まれています」
→ で、そのうち何パーセントが吸収されるわけ?
「お金欲しい」
→ で、何に使うわけ?
「長生きしたい」
→ で、何をするわけ?
とまあ、世の中を見渡せば表面上の数値とかばっかり見て、肝心の実態の方があんまり見られていない気がする。
どんな栄養も吸収できなければ意味ないし、金があっても有効に使う能力がなければ無駄使いにしかならないし、長生きしてもただ生きるだけなら価値はない。
それでも、意味なく数字を追い求める。
なぜこんな事態になるのか?
多分、栄養にしろ金にしろ寿命にしろ、何かと数値で測りたがる人にとってはそういうものの方が道しるべとしてわかりやすいのだろう。
逆に、実態は数値では表すことができない。
でもそれって、結局は数字しか信じられないから?
数値化できない考えを信じられないから?
でも、数値って簡単に偽装できるんだよ?
測定方法によっても値は変わるんだよ?
明確なようで実はいい加減な「データ」が世の中にはたくさんある。
いわゆる「科学的」な見方が有効な場面もあるけど、そればっかりもどうかと思う。
数字で表せることがすべてじゃないし。
数値以外の基準も持ち合わせるようにしないと。
引退してからいろんな人に「最近何やってるの?」と聞かれる。
しかし、なかなか説明しづらい。
何もやってないわけではないんだけど、やってることを羅列するとただ遊んでいるだけに思われるだろうし。
今やっていることは、「心の贅肉落とし」といったところでしょうか。
余分な部分を落として、核となる「自分にとって何が本当に大切なのか」、「自分は何が好きなのか」、ということをはっきりさせるためにいろいろやっておるわけです。
あと、感性を磨いたり。
別に、それによって効率が上がるというわけではないし、効率を求めてやるわけでもない。
ただ、自分なりの生き方というか価値観というか、そういうものを確立させないとここから先には進めないような感じなので。
以前、音楽聴きながら歩いたり自転車乗ったりすることについて書きましたが、今回は別の視点から考えてみました。
僕の趣味としては、やっぱりどっかに行ったらその場所のものを味わう、というのが好きなわけです。
で、外に出たらやっぱり外の音を聴こうと思っています。
四季おりおりというより、毎日違う音が流れています。
そういう音を聴くようにしている方が脳にはいいような気がします。
覚えてしまったような、わかりきったような音を聴き続けるのは脳が退化しそうで。
部屋で聴くのはいいと思いますが、外に出てまで部屋と同じような音環境にしてしまうのは脳への刺激ということから好ましくないような気がします。
それに、自然の音というのはアナログです。
一方、機械を通した音はデジタル化されています。
つまり、機械の音は容量節約のために、ある一定以上とある一定以下の音域の音はカットされているわけです。
その領域の音は確かに人間の耳には聞こえないから気にならないかもしれませんが、聞こえないからといって不要なのかどうかは別問題です。
音として認識できなくても音波として存在していれば、なんらかの影響は出ているかもしれません。
ちなみに、レコードはアナログなので音域のカットはされていないらしいです。
CDよりレコードの方がいい音がするという人がいますが、まあ、なんかあるのかもしれませんね。
また、オルゴールには人間の耳には認識できないような高音があり、それがリラックス効果をもたらしているのだとか。
当然、オルゴールCDにはそんな音は含まれていません。
それに、もしCDにデータとしてそういう音が含まれていたとしても、果たして普通のスピーカがその音を上手く再生できるのかも疑問だし。
専門家ではないので詳しくはよく知りませんが、やはり自然の音を聞く時間を設けない生活というのは不自然な気がします。
人間の耳に聞こえる部分だけを取り出しても、それは「自然音の真似」でしかないわけです。
音というのは聞くだけではなく感じる面もあると思います。
デジタル音だけだと、聞いてるばっかりで音を感じる力が衰えていきそう。
東寺では毎月第一土曜にガラクタ市、すなわち骨董市が開かれています。
で、今回初めて行ってみました。
それなりに店が多かったし、僕の趣味のものが結構あったので見ていて楽しかったです。
ただ、買うとなると話は別。
商品価値そのものより店の人が重要。
いかにも金にうるさそうな人と交渉するのはすっごく嫌です。
人それぞれ、穏やかというか気前がよさそうというか、そういう人の店だとありがたいです。
商品はまさにガラクタっていうものから美術品まで様々。
基本的には陶器類が多かった気がします。
1000円のギターもありました。安値新記録。
いくらかわからないけど、コントラバスや大正琴もありましたね。
ペコちゃんやサトちゃんの店頭人形とか、昔の黒電話とか、飲みかけの酒とか・・・まあ、なんでもありですよ。
結局、目的だった茶碗を購入。
もっといいのもあったけどそっちは高かったのでパス。
こういう場所って、値切るのうまい人が絶対有利だよなぁ。
