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Where there's a will, there's a way.
            
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よく「消毒」とか「雑菌」とか言われて、やたらと衛生に気を使うようにすすめられているけど、あんまりきれいすぎるのもどうなんだろうと思う。
たしか、ノロウィルスとかO157とかはきれいにしすぎたから登場したんじゃなかったっけ?
他の雑菌があったら繁殖できないけど、きれいにして雑菌がいなくなっちゃったから増えるようになったとか聞いたことある。

きれいにするということはウィルスからみたら他のウィルスがいない「空き地」をつくることになるのだけど、本当にそれでいいのかな?
逆に入ってきやすくなるんじゃないのかな?

あと、赤ちゃんをやたら清潔にするように勧めてるCMが多いけど、最も成長が著しい時期に雑菌に対する抵抗力をつけておかないと後々苦労するんじゃないのかな?
だって、いつまでも清潔空間にいられるわけじゃないんだし。
学校に行くようになったときのこととか考えてるのかな?

あんまり汚いのは不衛生だけど、あんまりきれいすぎるのもある意味不衛生なんじゃないのかな。
バランスが大事だよ。
本当の衛生って、まったく雑菌がない状態じゃなくて、雑菌とうまく共生している状態だと思う。





話それるので欄外へ。
赤ちゃんを清潔にしすぎるのとか、「目先教育」と同じ気がする。
今のことしか考えていなくて、自分の手の届かないところにいったときに自立できるかどうかなど考えていない。
取り締って罰則を与えるばかりで相手に根本的な理解をさせようとしない。
要はそういう一時しのぎばかりやってる教育のこと。
後のしわ寄せが大変になると思うんだけどなぁ。
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インターネットをやっていると、「言葉の世界」って感じがする。
もちろん画像や動画もあるのだけど、基本的に言葉で世界がなされていると思う。

言葉。
決まった文法にしたがって、決まった文字や音を並べて様々なものを表現する。
でも、表現しているだけでそのものではないはず。
どんなに言葉を並べても、どんなに上手い表現をつけても、そのものにはならない。
ちなみに、画像に関しても同じこと。
そういった意味でもインターネットはヴァーチャルな感じがする。

言葉には言葉の限界があって、なんでもかんでも言葉で言い表そうと必死になるのもどうかと思う。
体験学習とかもあるし、言葉以外で理解することも大切なはず。
というか、言葉ってきっかけであって、理解したつもりにはなれるけど厳密には「言葉だけで理解する」とか無理だと思う。

インターネット上での「交流」って、いったい何を交わらせているのでしょうね。
就活で誰かが
「どこで働くかより、どう働くかが大切だ」
といってたような気がします。

これは、結局は自分しだいということなのですが。
身近な例では、どこの大学に入るかより大学で何を学ぶかの方が大切なわけですよ。
会社や大学が自分を育ててくれるわけではなく、あくまで成長の「場」にすぎないと。
場はチャンスを提供してくれるけど、それを活用するか否かは自分しだい。
まあ、そういうこと。

ちなみに、これは働くこととか学ぶこと以外にも人付き合いでも同じことが言える気がします。
「誰と付き合うかより、どう付き合うか」
恋人、友達、家族、同僚、etc。
Aさんから多くのことを学び仲良くやっていく人もいれば、Aさんと喧嘩ばかりしている人もいるでしょう。
だから、「この人といれば・・・」という考えより「こう付き合えば・・・」と考えるほうがいいような気がします。
相手を選べない場合もありますし。

で、今日電車の中で新たに思ったことを付け加えます。
「どこで働くか」というのは働く場所が主導権を握っているような感じがしませんか?
「どう働くか」というのは働く人が主導権を握っているような感じがしませんか?
つまり、「どう働くか」という考えを持つことで主体的になれるような気がするのです。
「どこで働いて、誰と付き合って、何を学んでいるか」より「どう働いて、どういう人付き合いをして、どう学んでいるか」という方がなんか自立した感じがしませんか?
僕は後者の方が好きです。

「地獄極楽は胸三寸にあり」と言いますが、大体のことは自分の意識次第で変わります。
その意識を上手く調整する技術というものが確立できたらいいと思いませんか?
いや、宗教とか催眠とかじゃないですよ。
かといって、僕が研究しているのは心理学でもないわけで。
浪人時代から、かれこれ五年くらい人間の内面について研究しているのだけど、そろそろ一つの形ができそうな、そんな予感。
これをまとめるのに年末年始つぶそうかな。
どうせ暇だし。


・・・それより学校の勉強しなくちゃダメだよね。ヤレヤレ。
フィンランドが応用力世界一みたい。
フィンランドといえば以前に何かについて調べたことがあったんだけど、なんだったかな~。
美男美女が多いんだったっけ?
変わった妖精の人形があるんだったっけ?
とりあえず結構いい国なんだよね。

日本では教師の大学院みたいなのができるみたいだけど、個人的にはあんまり期待してないんだよね。
規模も中途半端だし。
でも、いい結果が出たらいいな。

それより、個人的にはいい加減に大人を教育してほしい。
それか高校できちんとした大人になれるような教育をしてほしい。
二十歳、四十歳、六十歳とか節目で人間テストみたいなの実施したほうがいいんじゃないの。
子供の教育を作るのは大人なんだし。
未来をしょってたつ存在も大事だろうけど、今現在世の中を動かしている存在も大事だろ。
僕の考えでは、体を整えるのは簡単で、次に簡単なのは技を磨くことで、もっとも難しいのは心を鍛えることではないかと思う。
世の中にはスタイルとか健康とかルックスとか体に属する分野のものは多いし、人の関心も強いような気がする。
加えて向上心のある人なら能力とか技術も気にする。
しかし、心に目を向ける人は少ないように思える。
漠然としてるし、怪しげな宗教とかもあるし、取り扱いが難しいからかな。
でも、心は人生にもっとも大きな影響を及ぼすものだと思う。
それなのに心の教育ってあんまりないんだよね。
宗教じゃなくてもいろんな思考法や成功哲学みたいなものもあるし、心を鍛える方法はいろいろあると思うんだけど。



今日洗い物をしてたら手が滑って茶碗を割ってしまいました。
やれやれ。
どうでもいいけど、日本人は「茶碗を割りました」と言って、欧米の人は「茶碗が割れました」と言うらしい。
曖昧さのある日本語だがところどころに責任感が表れていて良い言語なのだ、といった内容の文を就活で読んだなぁ。


過ぎた話だけど、学祭で「ハッピー度チェック」というものをやりました。
取り越し苦労タイプ、自己憐憫タイプ、ザリガニ型人生タイプ、自己否定タイプの中で僕は自己否定タイプでした。
まあ、そうやろな。
ちなみに幸福生産能力が40%しかありませんでした。
残念ながら工学部では幸福の作り方は学ばないのですよ。
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自分も周囲も転々としていく。
そんな中で偶然交わった流れの中から大切なものを見つけていくのが人生の喜びなのかな、とか思ったりして。

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