Where there's a will, there's a way.
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タバコのポイ捨ては言うまでもないが、携帯灰皿を持っていたとしても歩きタバコはやめてもらいたい。
まず、煙たい。
風上を歩かれようものなら、その後ろを歩く人全員に煙がいくということをわかっているのだろうか。
あと、タバコの火が気になる。
タバコを持ってプラプラさせているその手は本人の視界の外にあるわけである。
もし誰かにあたったとしても、火を持っている本人は果たして気づくだろうか。
不要ないざこざの元である。
それに、その火の高さは子供の目の高さくらいなわけで、しかも、子供は余所見しながらフラフラしてたりするわけで。
事が起きる前にやめてもらいたいものである。
ちなみに、タバコの火の温度は900度くらいあるらしい。
十分「凶器」の部類だと思うのだが、イマイチ規制されないのが残念。
マナーのための携帯灰皿を宣伝してるけど、あんなのメーカーの利益のためにしかならない気がする。
歩きタバコの時点で十分マナー悪い。
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犯罪を犯しても心神喪失状態だったから無罪。
精神的に乱れていたら何やってもいいのか、という感情はもちろんあるが、それ以外にも思うところはある。
心神喪失であれば無罪というのなら、逆になぜその人に人権が与えられているのだろう。
人間としての権利を得るのなら、人間としての責任をまっとうするべきではないのか。
責任を果たせないのに権利だけ得ているというのはおかしいのではないか。
「家」というまとまりが薄れて、「個人」の社会になればなるほど一人一人の責任能力は必要になってくると思う。
子供のように本人に責任能力がなければ保護者が責任を取る。
そうやって誰かが責任を取るようにしているからこそ権利を受け取ることができるのではないのか。
責任を負わずして権利だけ得るというのは筋の通らないことだと思う。
成人であっても本人に責任能力がないなら「保護者」が必要なのではないのかな。
今の法律に詳しいわけではないけれど、責任の伴わない権利を保護するのはいかがなものかと思う。
そんな文化はあってほしくない。
