Where there's a will, there's a way.
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(夜桜。 円山公園にて)
春休み頑張ったおかげで、今日で今月分のバイトの労働時間が100時間を越えました。
労働時間が長くなると自給の低さが気になってしまいますね。
そういえば、めでたく(?)二留が決定しました。
びみょ~に足らんのよね。
まあ、途中の二年間はほとんど学校無視してたから当然といえば当然なんだけど。
ちなみに、どんなに忙しくても資格の勉強程度でそこまでひどくはなりませんよ。
今ならもう言っても大丈夫だろうけど、本当の原因は精神的なもの。
事情は長くなるから省略するけど、その二年間は精神的にはぼろぼろだった。
手首切ったりもしてました。
今でも傷跡は残ってます。
というか、もう消えません。
でも、後悔はしてません。
やったことある者にしかわからないことだけど、そうしないとやっていけなかったのだから。
そんな状態でもある程度は役目果たせたし。
なにより、結果として今ちゃんと生きているわけだし。
その時期、本を大量に読んでたのはその頃かかえていた問題の解決法を見つけるため。
ある程度の脅迫観念がないと、ただ本が好きっていうだけであそこまで本読んだりできませんよ。
この十二年、不思議なくらいいろいろあったけど、そのおかげで必要に迫られて磨かれた部分もあったし、かけがえのない経験だったと言えなくもないかな。
そういうことがなかったら死を意識することなく生きていただろうし。
そういうことがなかったら人の苦しみを気遣うことはできなかっただろうし。
そういうことがなかったら今の能力はなかっただろうし。
過去のことを思えば、大概のことは些細なことに感じます。
過去のことを思えば、わずかな優しさも嬉しく感じます。
この感覚は一生の宝と言えるでしょう。
でも、その代償として感情は希薄になりました。
というか、希薄でないとやっていけなかったのでしょう。
得たものも失ったものも大きい。
今のところはまだ失ったものの方が大きい気がする。
これからはどうなるんだろうなぁ。
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