Where there's a will, there's a way.
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(メモを用いた学習モデル。なんとなく作ってみた。)
みなさんメモってとってますか?
「今晩のおかずの材料」とかいった記憶のためのメモではなく、学習のためのメモのことです。
メモをとったとして、その後そのメモはどうしてますか?
例えば、セミナーとかで話を聞きながらメモをとるとします。
でも、このままでは単に「記憶のためのメモ」でしかありません。
僕は、メモは統合してこそ真の力を発揮するものだと思います。
メモは「材料」だと考えています。
メモを集めて比べて統合する、という作業の中で気づくことも多いです。
メモの中で繰り返し出てくる「キーワード」もあるかもしれません。
逆に、まったく正反対の内容のものもあるかもしれません。
この「比較」という作業が大切だと思います。
情報が多いとどうしても鵜呑みにしてしまいがちです。
比較するということは、自分で考えることになります。
誤った情報や、偏った情報など、余分なものを取り除くためにもこういうフィルタを通すような作業は有効です。
ここまでいって、一応のできあがりです。
あとは実践するだけ。
その考えでうまくいくかどうか。
うまくいかないならどこが悪いのか、どこをどう直したらいいのか。
ひたすら実践と修正の繰り返しです。
学習方法というのはいろいろありますけど、メモを使うというのは手軽で誰にでもできることです。
紙に書かなくても、携帯でメールに入力して下書き保存しておいたりするのもメモになります。
そのまま自分のパソコンに送信するのもありです。
ほんのわずかな作業で大きな結果が出ますのでオススメですよ。
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(名前はよく知らないけど、たしか蜜がおいしい花だったと思う。 三条にて)
自分の大学の人が出ている演奏会を聞くというのはなんか変な感じがしますね。
僕はもう舞台に立つことはないわけだし、なんか別の世界の人って感じがしてしまう。
客席と舞台の間にしきりはないけど、なんかそこに壁があるような。
舞台が遠い。
演奏自体は、まあ京マンだし。
大事なのは交流も含めて楽しくできたかどうかなので、客が評価することではないと思う。
演奏会が終わってからは出演者の人と話したり、今年の会長と話したり。
自分がやっていた頃からもう二年もたつんだなぁ。
早いもんだ。
最近の状況。
・ぜんぜん酒を飲みたいと思わない。
・飲んでもおいしいと思えない。
・ものを捨てることでストレス発散。
・アンパンと黒糖かりんとうがやたら食べたくなる。
・あらゆることがどうでもよくなってくる。
(なんとなく気に入った建物。 北山通りにて)
外界から遮断された場所で、自分ひとりで物事を考えていったらどうなるだろう。
純粋に自分ひとりならいい。
でも、マンガやゲームなどの現実離れした世界やネットのような世界の影響を受けながらの「独り」だったらどうだろう。
他の誰かと接するということは、他の世界観や価値観と接することにもなる。
独りだった場合、ひたすら自分の考えで生きることになる。
善悪を決めるのも自分。
自分が正しくて、それを認めない世間が悪いと考えることも簡単。
僕は以前にしんどい時期があったけど、どうにかしてでもひきこもらないようにした。
それは上記のように、自分の考えに溺れたくなかったから。
他人と接していれば、自分の考えが適応しているかどうかぐらいはわかる。
否定されることで新しい考えにつながることもある。
ひきこもれば安易な自己肯定はできるかもしれない。
でも、そんな外界を無視したような自己肯定など幻想にすぎない。
本当の自己肯定は外界との相互作用の先にしかないと思う。
別に、幻想に生きようが個人の勝手だが、その幻想に他人をまきこむのはやめてもらいたいものである。
