Where there's a will, there's a way.
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(なんとなく気に入った建物。 北山通りにて)
外界から遮断された場所で、自分ひとりで物事を考えていったらどうなるだろう。
純粋に自分ひとりならいい。
でも、マンガやゲームなどの現実離れした世界やネットのような世界の影響を受けながらの「独り」だったらどうだろう。
他の誰かと接するということは、他の世界観や価値観と接することにもなる。
独りだった場合、ひたすら自分の考えで生きることになる。
善悪を決めるのも自分。
自分が正しくて、それを認めない世間が悪いと考えることも簡単。
僕は以前にしんどい時期があったけど、どうにかしてでもひきこもらないようにした。
それは上記のように、自分の考えに溺れたくなかったから。
他人と接していれば、自分の考えが適応しているかどうかぐらいはわかる。
否定されることで新しい考えにつながることもある。
ひきこもれば安易な自己肯定はできるかもしれない。
でも、そんな外界を無視したような自己肯定など幻想にすぎない。
本当の自己肯定は外界との相互作用の先にしかないと思う。
別に、幻想に生きようが個人の勝手だが、その幻想に他人をまきこむのはやめてもらいたいものである。
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