忍者ブログ
Where there's a will, there's a way.
            
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




為せば成るとは限らねど  為さねば成らぬが世の道理

得るも失するも意味をもち  其のすべては道のため

至るべき彼方に目を向け  道のために事を為す



PR
アピールは表の世界、気配りは裏の世界だと思う。

さりげなく、自然な形で相手が快適になれるように環境を整えること。
それが気配りだと思う。
だから、あからさまなのはかっこ悪い。
気配りを自慢したり、褒めてもらおうとしたりするのは最悪。

相手の評価を上げたいのならスポーツなり仕事なりでアピールすればいい。
気配りは自分のためではなく相手のためであることを忘れてはならない。
気づかれてしまっては相手が恐縮するかもしれないから、気づかれない程度がちょうどいいのである。
「理由はわからないけど、なんか気分よかった。」と思われるのが理想。

そんな気配りができるようになりたい。
絵の練習をしていて思うんだけど、最初の頃はなぜうまく描けないのだろう。
最初の頃は全体のバランスとかめちゃくちゃだし。

頭の中では鮮明に絵を描ける。
見たものは記憶として呼び起こせるし、見たこと無いものでも想像で描ける。

それなのに、それを描けない。
頭の中から外界への間にある隔たり、それは結構大きいんだなぁ。
イメージを実際の形にアウトプットするという技術って、あんまり教育されてないし。
目の前にある絵を模写するのはそこそこできても、頭の中の絵を写しだすのは難しい。

かといって、アウトプットの能力だけが原因なわけではない。
アウトプットの技術を磨いていくと、イメージの方もアウトプットしやすいように変わってくる。
最初はカラフルでリアルな絵をイメージしていたが、実際はいきなりそんな絵になるわけではない。
慣れてくると、まずデッサン画が頭に浮かぶようになる。
シャーペンで書いたような、色のまったくついてない絵。
その方がアウトプットはしやすい。
で、アウトプットした実際の絵を見ながら光加減とかを考えていく。
最初の頃はそういうことをせずにいきなり完成形だけをイメージするからやりづらいんだろうな。

イメージレベルで段階をつくることが大事なんだろう。
もちろん完成形のイメージはあるのだが、それとは別に段階ごとのイメージをもって、その段階ごとにアウトプットしていく。
計画をたてるときとかによくあるやり方だ。
目標をたてて、その間の細かい目標を設定して、実行するときはそのつど結果を見ながら修正を加えていく。
絵もそんな感じ。
「細分化して各個撃破」は基本なのだろう。

「まあ、まだ子供なんだからいいじゃないですか」

というのをたまに聞くのだが、こういうのを聞くと

「じゃあ、いつ躾けるつもりなんだ?」
「大きくなってから躾けるつもりか?」
「大きくなってから躾けられると思ってるのか?」

とか思う。
小さいからこそ、注意して躾けておくべきなのではないかと思う。
成長して、自立し始めたら言うこときかないだろ。
価値観、概念、癖、そういったものができる前に、素直でよくわかっていないうちに躾けておかないと。
本人が向上心のあるものだったら大きくなってから自分で自分を躾けたりするけど、多くの場合はそうはいかないし。

少しの角度のずれでも進むにつれて誤差は大きくなる。
修正するなら早いうちがいいだろう。

といっても、幼児期からのいわゆる英才教育というのには反対なのだけど。
あれは人間の可能性をつぶしそう。
英才教育以上の人間にはなれそうにないし。
そういうのではなく、人間的躾の話なので。

そばとかラーメンとかを音をたてずに食べるのをマナーがいいという風潮があるけど、あれってどうなんだろ?

西洋のパスタはフォークでくるくる巻きつけると、いっしょにソースもうまくからまってちょうどいいんだろう。
でも、そばとかラーメンとかって、ずずずって吸い込まないとスープが全部麺から流れ落ちて味がしないと思う。
口先でちゅるちゅる食べてておいしいか?
いや、絶対すすったほうがおいしい。

そもそも、そうやって食べるようにできているはず。
パスタは音をたてずに食べるようにできているのだろうけど、東洋の麺はきっと音をたてて食べるようにできているに違いない。
それなのに、なんでもかんでも西洋の作法がよいと考えて形だけあてはめるのはよくない。

食の作法というのは、「もっともおいしい食べ方で食べる」ことだと思う。
それが作ってくれた人に対する礼儀だろう。
それを行儀が悪いだのなんだの言って、本来の食べ方をしないのは作ってくれた人に対して失礼ではないのか。
そんなのはマナーでもなんでもない。





とまあ、形だけを真似するというのはよくない。
日本は外からのものを取り入れて、自分流に変えてしまうというのが得意だが、「自分流に変える」というのが大事であり日本の良さだと思う。
そのままでは日本の文化や風土に合うわけがない。
そんな日本の良さが失われていっている感じがする。
形式ばっかじゃ中身なくなっちゃうよ。

もう過ぎた話だけど、ジューンブライドだって、西洋は六月天気いいけど日本は梅雨だしね。
ユノだって西洋神話で、東洋には東洋の神様がいるんだし。

「隣の芝は~」的な発想で西洋がいいと思うのかな?
自国の文化だっていいところあると思うんだけどなぁ。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
gres
性別:
非公開
自己紹介:
自分も周囲も転々としていく。
そんな中で偶然交わった流れの中から大切なものを見つけていくのが人生の喜びなのかな、とか思ったりして。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンへ
最新コメント
[11/13 DSLR-A850]
[03/09 ハーフムーン]
[03/09 gres]
[03/09 ハーフムーン]
[03/05 gres]
最新記事
最新トラックバック
ブログ内検索
フリーエリア
バーコード



忍者ブログ [PR]