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Where there's a will, there's a way.
            
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「この食品には・・・が~グラム含まれています」

→ で、そのうち何パーセントが吸収されるわけ?

「お金欲しい」

→ で、何に使うわけ?

「長生きしたい」

→ で、何をするわけ?



とまあ、世の中を見渡せば表面上の数値とかばっかり見て、肝心の実態の方があんまり見られていない気がする。
どんな栄養も吸収できなければ意味ないし、金があっても有効に使う能力がなければ無駄使いにしかならないし、長生きしてもただ生きるだけなら価値はない。
それでも、意味なく数字を追い求める。

なぜこんな事態になるのか?
多分、栄養にしろ金にしろ寿命にしろ、何かと数値で測りたがる人にとってはそういうものの方が道しるべとしてわかりやすいのだろう。
逆に、実態は数値では表すことができない。

でもそれって、結局は数字しか信じられないから?
数値化できない考えを信じられないから?
でも、数値って簡単に偽装できるんだよ?
測定方法によっても値は変わるんだよ?

明確なようで実はいい加減な「データ」が世の中にはたくさんある。
いわゆる「科学的」な見方が有効な場面もあるけど、そればっかりもどうかと思う。
数字で表せることがすべてじゃないし。

数値以外の基準も持ち合わせるようにしないと。
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以前、音楽聴きながら歩いたり自転車乗ったりすることについて書きましたが、今回は別の視点から考えてみました。



僕の趣味としては、やっぱりどっかに行ったらその場所のものを味わう、というのが好きなわけです。

で、外に出たらやっぱり外の音を聴こうと思っています。

四季おりおりというより、毎日違う音が流れています。

そういう音を聴くようにしている方が脳にはいいような気がします。

覚えてしまったような、わかりきったような音を聴き続けるのは脳が退化しそうで。

部屋で聴くのはいいと思いますが、外に出てまで部屋と同じような音環境にしてしまうのは脳への刺激ということから好ましくないような気がします。



それに、自然の音というのはアナログです。

一方、機械を通した音はデジタル化されています。

つまり、機械の音は容量節約のために、ある一定以上とある一定以下の音域の音はカットされているわけです。

その領域の音は確かに人間の耳には聞こえないから気にならないかもしれませんが、聞こえないからといって不要なのかどうかは別問題です。

音として認識できなくても音波として存在していれば、なんらかの影響は出ているかもしれません。



ちなみに、レコードはアナログなので音域のカットはされていないらしいです。

CDよりレコードの方がいい音がするという人がいますが、まあ、なんかあるのかもしれませんね。

また、オルゴールには人間の耳には認識できないような高音があり、それがリラックス効果をもたらしているのだとか。

当然、オルゴールCDにはそんな音は含まれていません。

それに、もしCDにデータとしてそういう音が含まれていたとしても、果たして普通のスピーカがその音を上手く再生できるのかも疑問だし。



専門家ではないので詳しくはよく知りませんが、やはり自然の音を聞く時間を設けない生活というのは不自然な気がします。

人間の耳に聞こえる部分だけを取り出しても、それは「自然音の真似」でしかないわけです。

音というのは聞くだけではなく感じる面もあると思います。

デジタル音だけだと、聞いてるばっかりで音を感じる力が衰えていきそう。


タバコのポイ捨ては言うまでもないが、携帯灰皿を持っていたとしても歩きタバコはやめてもらいたい。



まず、煙たい。

風上を歩かれようものなら、その後ろを歩く人全員に煙がいくということをわかっているのだろうか。

あと、タバコの火が気になる。

タバコを持ってプラプラさせているその手は本人の視界の外にあるわけである。

もし誰かにあたったとしても、火を持っている本人は果たして気づくだろうか。

不要ないざこざの元である。

それに、その火の高さは子供の目の高さくらいなわけで、しかも、子供は余所見しながらフラフラしてたりするわけで。

事が起きる前にやめてもらいたいものである。



ちなみに、タバコの火の温度は900度くらいあるらしい。

十分「凶器」の部類だと思うのだが、イマイチ規制されないのが残念。



マナーのための携帯灰皿を宣伝してるけど、あんなのメーカーの利益のためにしかならない気がする。

歩きタバコの時点で十分マナー悪い。


犯罪を犯しても心神喪失状態だったから無罪。

精神的に乱れていたら何やってもいいのか、という感情はもちろんあるが、それ以外にも思うところはある。



心神喪失であれば無罪というのなら、逆になぜその人に人権が与えられているのだろう。

人間としての権利を得るのなら、人間としての責任をまっとうするべきではないのか。

責任を果たせないのに権利だけ得ているというのはおかしいのではないか。



「家」というまとまりが薄れて、「個人」の社会になればなるほど一人一人の責任能力は必要になってくると思う。

子供のように本人に責任能力がなければ保護者が責任を取る。

そうやって誰かが責任を取るようにしているからこそ権利を受け取ることができるのではないのか。

責任を負わずして権利だけ得るというのは筋の通らないことだと思う。

成人であっても本人に責任能力がないなら「保護者」が必要なのではないのかな。



今の法律に詳しいわけではないけれど、責任の伴わない権利を保護するのはいかがなものかと思う。

そんな文化はあってほしくない。

よきプレイヤーが必ずしもよきリーダーになれるとは限らない。

プレイヤーに求められる能力とリーダーに求められる能力は別物。

 

プレイヤーとして努力するだけでは上に立つ人間としては不十分。

自分のことに加えて、上に立つものとしての人間的な努力も必要だと思う。

少なくとも、 僕が敬意を持てた人は技術だけの人間ではなかった。

逆に、リーダーとしての能力を磨けば自分より優れたプレイヤーを導くこともできるのである。

リーダーが必ずしも最優秀プレイヤーである必要はない。

他の人の能力を引き出したり、まとめたり、リーダーとしての能力があればいいのである。

その場合、「自分より優れた部下」というものに耐えるだけの強さも必要となる。

立場を利用して自分を守ろうとしたり、相手を攻撃したりしてはいけない。

 

サークルに所属していたとき、自分の技術の向上はもちろんのこと、上回生として求められる能力も気にしていた。

ただ自分がうまく弾ければいいというものではない。

それに、経験者など自分より上手い人を指導しなければならないときもある。

そんなとき、自分の方が下手だからといって放棄するわけにはいかない。

たとえ相手の方が優れたプレイヤーであっても、どうにかして相手の力を上手く引き出すことが大事だと思っていた。

 

そんなことを思いながらも、サークルの中でこれといって何もできなかった自分が情けない。

次にそういう立場になるときがあったら上手く実践したいと思う。

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自分も周囲も転々としていく。
そんな中で偶然交わった流れの中から大切なものを見つけていくのが人生の喜びなのかな、とか思ったりして。

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