Where there's a will, there's a way.
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(メモを用いた学習モデル。なんとなく作ってみた。)
みなさんメモってとってますか?
「今晩のおかずの材料」とかいった記憶のためのメモではなく、学習のためのメモのことです。
メモをとったとして、その後そのメモはどうしてますか?
例えば、セミナーとかで話を聞きながらメモをとるとします。
でも、このままでは単に「記憶のためのメモ」でしかありません。
僕は、メモは統合してこそ真の力を発揮するものだと思います。
メモは「材料」だと考えています。
メモを集めて比べて統合する、という作業の中で気づくことも多いです。
メモの中で繰り返し出てくる「キーワード」もあるかもしれません。
逆に、まったく正反対の内容のものもあるかもしれません。
この「比較」という作業が大切だと思います。
情報が多いとどうしても鵜呑みにしてしまいがちです。
比較するということは、自分で考えることになります。
誤った情報や、偏った情報など、余分なものを取り除くためにもこういうフィルタを通すような作業は有効です。
ここまでいって、一応のできあがりです。
あとは実践するだけ。
その考えでうまくいくかどうか。
うまくいかないならどこが悪いのか、どこをどう直したらいいのか。
ひたすら実践と修正の繰り返しです。
学習方法というのはいろいろありますけど、メモを使うというのは手軽で誰にでもできることです。
紙に書かなくても、携帯でメールに入力して下書き保存しておいたりするのもメモになります。
そのまま自分のパソコンに送信するのもありです。
ほんのわずかな作業で大きな結果が出ますのでオススメですよ。
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(なんとなく気に入った建物。 北山通りにて)
外界から遮断された場所で、自分ひとりで物事を考えていったらどうなるだろう。
純粋に自分ひとりならいい。
でも、マンガやゲームなどの現実離れした世界やネットのような世界の影響を受けながらの「独り」だったらどうだろう。
他の誰かと接するということは、他の世界観や価値観と接することにもなる。
独りだった場合、ひたすら自分の考えで生きることになる。
善悪を決めるのも自分。
自分が正しくて、それを認めない世間が悪いと考えることも簡単。
僕は以前にしんどい時期があったけど、どうにかしてでもひきこもらないようにした。
それは上記のように、自分の考えに溺れたくなかったから。
他人と接していれば、自分の考えが適応しているかどうかぐらいはわかる。
否定されることで新しい考えにつながることもある。
ひきこもれば安易な自己肯定はできるかもしれない。
でも、そんな外界を無視したような自己肯定など幻想にすぎない。
本当の自己肯定は外界との相互作用の先にしかないと思う。
別に、幻想に生きようが個人の勝手だが、その幻想に他人をまきこむのはやめてもらいたいものである。
(ウィスキーの熟成樽。シャッター時間長いから光が・・・。 山崎蒸留所にて)
名言って、聞いたときは感動するけど後に残りにくいと思うのは僕だけ?
名言とかって、イメージがともなわないからイマイチなんじゃないかと思う。
どういう能力をもってどんなことを言える人間になりたいかっていうのより、どこどこのマンガに出てくる誰々みたいになりたいっていう方がわかりやすいのではないかな。
具体的に多くを羅列するより、一つのまとまったイメージを持つほうが方向性が定まりやすい気がする。
小さい頃とか、お気に入りのアニメキャラとかいませんでした?
そのキャラみたいになりたい、っていうような。
そういう漠然としたイメージも大事だと思う。
もちろん、イメージの対象は身近な人間でもいいし、歴史上の人間でもいいけど。
憧れるにはなんらかの理由があるはず。
その理由を考えながらイメージを持ってみると、なりたい自分が見えてくるような気がする。
たまに「ありのまま姿」というのがいいことのように言われるときがあるが、僕としてはそれはどうだろうと思う。
ありのままっていうのは、何も手を加えていない状態。
料理で言えば食材にあたる。
飲食店で調理されてない食材出されて「ありのままの味を味わってください」などといわれたらどうでしょうねぇ?
なんか手抜き感が漂ってしまいます。
人間だって何も手を加えなかったら、ありのままの姿なんてとても受け入れられるものではないと思う。
ただ怠けているだけ、逃げているだけにしか思えない。
しかし、悲しいかな努力すればいいというものでもない。
決して努力を否定するわけではないが、努力が必ず報われるというのは精神論でしかないと思う。
食材を適切に料理しなければ食材の状態よりまずくなることがあるように、人間だって自分にあった方向を選ばなければまずいことになるのではないだろうか。
何かをつくるとき、材料の特性を考えて製作を開始する。
それと同様に、自分の特性をよく把握した上で方向性を決めないと、ただ興味があるというだけでなんとなく始めてしまっては失敗してしまう。
人それぞれ特性が違うから、人と違った道を進んでもそれは当たり前。
同じ方がおかしい。
ただ流されているだけなら、多くの場合「不味い人生」のできあがりであろう。
関係ないことだけど、進行性骨化性線維異形成症(FOP)と色素性乾皮症(XP)の研究が始められたらしい。
FOPに関しては以前にテレビで見たことがある。
筋肉が骨に変わっていって動かなくなっていく病気だったと思う。
番組に出ていたのは中学生の女の子で、すでに身体の関節が半分くらいしか動かなくなっていて、動けば動くほど症状は進行してしまう状態だった。
その子は「みんなと一緒に普通の生活がしたい」ということを望みながら、不自由な身体にも関わらず学校には普通にいっていた。
番組を見ていたときは、政府の指定を受けていない病気であったため何の補助も受けられずにいた。
「無駄なところに税金使ってないでこういうところに使えよ」などと思っていたのをよく覚えている。
まだまだ難病はたくさんあるんだから、気合入れてやってもらいたい。